柳 美里

 


水辺のゆりかご(角川文庫)

柳 美里の本は数冊読んだだけですが、その中でこの本がいちばん好き。
彼女の自伝的エッセイともよべるこの本、読み始めると引きこまれるように最後まで一気に読んでしまいました。
在日韓国人の長女として生まれ、仲の悪い両親、ひどいいじめに遭った学校生活…今まで体験してきた陰惨な自分の生い立ちのことが中心に書かれてあります。
「私ってほんとかわいそうでしょ」
なんて、そんなお涙頂戴ふうでもかわいそうな自分に酔っているふうでもなく、どこか醒めている目で自分にふりかかった出来事をまるで観察するかのようにながめている…そんな著者の視点が印象的。美里さんの深い洞察力が感じられます。

数々の不幸な体験や辛い思い出たちがいつのまにか心に沈殿してしまった時、演劇や小説を書くことでそれらが昇華していく様は、読んでいるこちらまでスカッとして気持ちがよかったのです。
描写のひとつひとつが頭に像となって浮かびやすい、そんな著者の筆力ももちろん魅力なのですが、文章全体にうっすらと漂っているエロスの匂いに時々ドキッとしてしまう、そんな本。

文庫本の解説を書いている林真理子の文章もとてもよくて、それは選ばれた人間が選ばれた人に贈ったエールのようでした。


フルハウス(文藝春秋)

先に自伝的エッセイ『水辺のゆりかご』を読んだ私は、この本に登場する主人公とその一家たちの様子が、柳 美里本人と家族のことのように思えてしまいました。あと、この本の舞台になっている横浜市都筑区には、この本が出された2年前に私も住み始めているので、文中に出てくる街の描写がとても興味深かったのです。

崩壊した家庭の父親が家を新築して二人の娘たちをこの家に住まわそうとするのですが、父親のことが嫌いなために、その家に住もうとしない姉妹。そのうちその家にはホームレス一家が住みついてしまい、その一家と主人公の素美とのちょっと奇妙なふれあい(?)が描かれています。
家族のことをあつかった物語なのに、”家庭回復”みたいな温かいメッセージがぜんぜん感じられないところが美里さんのお話の特徴かしら。
ホームレス一家の女の子かおるへの描写がどこかエロチックな人形的で、幼いころの柳 美里とどこか重ね合わせて読んでしまったのです。

この本に収められているもうひとつのお話『もやし』のほうですが、読んでいるうちにその絶望感と暗さ、文章全体から感じられる狂気に、とても嫌な気持ちになりました。このお話からは心休まるもの、温かいもの…それらがぜんぜん感じられなかったのです。柳 美里の小説にそれらを求めてしまう私がおかしいのでしょうか。


家族シネマ(講談社)

芥川賞を受賞したこの作品、最初に読んだ時はそんなにいいとは思えませんでしたが、彼女の自伝的エッセイ『水辺のゆりかご』を読んでからもう一度読み返してみると、この本が著者自身の家族のことを投影して書いてあることに気づきます。そして家族に対するストレートな嫌悪感、というより、どこか余裕をもった視点で書かれてあることに気づき、この本に一種のユーモアさえ感じてしまったのです。心の中ではどろどろしたものをいっぱい持ちながらも”家族”という形態だけを真似ようとする、そんな人々の姿がどこか滑稽に伝わってきます。

このお話に出てくる古いアパートに住む深見という名の老人の存在が、さっぱり分からなかった私です。柳 美里の書かれたものにかならずと言っていいほど登場する、エロティックなもの…そうだとしたらあまりにも彼の存在はひからびていて哀しい。

表題の『家族シネマ』以外にも『真夏』、『潮合い』という短いお話が収められているのですが、とくに女の子のいじめを題材にした『潮合い』がとても面白くておすすめ。だけど、人が持つイヤなぶぶんをどうしてここまで自分の書くものに反映していくのか…著者の今まで育ってきた生い立ちを思い、読み終えたあとで私の心にやるせないものを残しました。


(メディアファクトリー)

性小説と性にまつわるエッセイ、両方が楽しめる本。
柳 美里といえば、今まで家族をあつかった小説をおもに読んできましたが、文中にうっすらと漂うエロスの匂い・・とくに女の子にたいする描写がどこか人形的で、そのいけない描写に胸がドキドキした私。
著者はいろいろな恋、性を経験してきた人。自分の体験をとおして話されるお話たちが、私の胸にスーッとはいってきます。自虐的な行為だった性がほんとうの愛する人の出現で癒やしの性に変わる、その様子がよかった。
彼女の今までの小説は、著者の不幸な生い立ちが読み手の私の胸を苦しくさせましたが、この本ではひとりの”もの書き”としての哀しさが私の胸を痛くさせます。真剣に恋をした相手との別れの選択…自分の中で決定的に欠けているぶぶんがあるからこそ小説が書ける、そんな自分を自覚している著者は、欠けているぶぶんを埋めてくれる彼を遠ざけます。
「あなたはけっして小説にならないようなことはしませんよ」
かつてつきあったことのある男性からのかなしい言葉です。
今まで読んだ柳 美里の本の中で、もの書き、職業人としての柳 美里の存在をいちばん感じた本でした。


(小学館)

読みながら涙がとまらなかった本です。妻ある男性との恋、別れ、妊娠、出産、そして癌闘病…柳 美里が駆けぬけた一年間は壮絶でたいへん、でも愛おしい。
かけがえのない人の悲しい死はもちろん、著者のまわりの人々が温かいのでよけいに切なくなったみたいです。
「柳さんの闘いをすこしでも手伝いたい」と、真っ直ぐな視線でそう言いきった最相さん。
「神様のすぐ側に住んでいる人のように偉大に見えます。」
癌と闘っている東由多加にそう言わせた、彼を献身的に看病するエレン。
不安の中で子供を産もうとしている柳 美里に、赤ちゃんを守ってくれる人の名前を3人プレゼントしようとした東由多加。みんなとてもあたたかい。

闘病、育児、執筆、一度にたくさんのことをしなければならなかった著者のたいへんさが伝わってきますが、柳 美里の母が思ったように、母になることで彼女の心にいつも巣くっていた「死」の誘惑から彼女はやっと解き放たれる、そんな安堵感をもってしまったこともたしか。
柳 美里の描く出産の場面。とても正直で克明だったので、読みながらいつしか私自身の出産のもようと重ね合わせていました。隣りに眠る産まれたばかりのわが子…愛おしいのだけど見ていると涙がとまらなかったあの切ない感情がふたたび私の心をあふれさせます。
日常の一秒一秒がきらきら、きらきらと輝きはじめ、命の尊さを実感する・・文中のこの言葉を何度も読み返した私です。


(小学館)

同じ著者の書いた本、『命』の続編のような感じで読み始めた本でした。でもこちらのほうがいろんな意味で痛かった。この本を「癌闘病記」として読むこともできます。家族の濃いつながりを描いたノンフィクションとして読むことも。

家族・・
柳美里さんとその息子の丈陽くん。いっしょに暮らしている(同居人)東由多加さんとは血はつながっていません。美里さんのあいだに婚姻関係があるわけでもないし…。でもどこから見てもこの三人はまぎれもない家族なのです。
東さんと美里さんはかつて同じ劇団の先輩と後輩という間柄。お互いに恋人ができたと知ると、競いあうように他の異性とつきあったほどのなまぐさい男女の関係もあったようです。
男女の関係がその始まりでは、あわくどこか夢見がちに時が経っていくのに対し、関係が深まるにつれてどんどんそこにお互いのもつ”現実”が加わっていくのは仕方がないのことなのでしょうか。
相手の痛みが自分の痛みとして感じた時、はじめて相手を深く愛してしまっていることに気がつくのかもしれない・・。そして、恋から深い愛に変わっていく人と人との関係が、ほんとうの意味での「家族」のつながりを作っていくのかも。

病による激しい痛みや幻覚に苦しみながら、それでも最期まで癌と闘おうとした東の姿は、柳美里とその息子丈陽を守ろうとした強い男の姿。慣れないはじめての育児と重病人の看病、締め切りのある仕事を抱え、何度もつまずきそうになりながらも、それでも自分を見失わなかった著者の姿… 感動しました!
つるんとしたすべすべの文体を書く作家がいる一方で、柳美里のように、心にできてしまった瘡蓋さえも描ききってしまう作家がいることを、どこか頼もしくさえ思えた私です。