田口ランディ



コンセント(幻冬舎)

きれいな言葉、美しいものだけで構成されたお話は嘘っぽいけれど、思わす目を背けたくなるようなおぞましいものが書かれてある小説は苦手。この本を最初読み始めた時、何度も本を閉じようと思いました。死体の克明な描写など読みたくなかった。ましてやそれが腐乱していく姿など。
読み進んでいくうちにどんどんこのお話の世界に引き込まれていき、気がつくと一気に読み終えていたのです。引きこもりの末の衰弱死…兄の死がきっかけになって主人公ユキはある意識への覚醒を経験します。そのための通過儀礼のような辛い体験の数々。
他人から放たれる波動をとても敏感に感じてしまう人がいます。すぐに人の感情に感応、シンクロしてしまう人。そのために自分を消耗してしまう・・・。これは今いろいろと問題にされている引きこもりの原因のひとつになっているのかも、そんなことを思ってしまいました。

家庭内暴力、分裂気味の人や引きこもってしまう人…それらを精神を病んだ人、というワクにひとつにまとめないで、この本にはある可能性(?)が書かれてあります。その可能性が著者のやさしい視点から生まれたものであることを望みます。
普通・・そうではないことの世界を描くことはとても勇気がいること。差別を感じさせないで描ききった、著者ランディさんの筆力はすごいと思いました。


●アンテナ(幻冬舎)

ざっと書店で斜め読みした時、過激な性描写、シャーマニズムや心霊などのオカルト的な言葉たちが目に入り、最初とても読む気がしなかった、というのが本音。
その本を購入してじっくり読んでみました。15年前に忽然と家族の前から姿を消した少女。その現実を受けとめることができない家族たちの心を、どんどんむしばんでいく負の意識たち。あやしい宗教にすがる母親、妹の生まれ変わりになろうとして精神を病んでいく弟、そして自傷をくり返す主人公の僕。
その僕がSMクラブの女王として働くナオミと出会います。まるでシャーマンのようなナオミによって抑圧された性エネルギーを解かれ、彼の意識は解放されます。そのことによって彼のまわりの人々、家族たちもある呪縛から解き放たれていくのです。
愛するもの(家族)を失った時、その悲しみははかり知れないほど大きいもの。その悲しみによっていつしか作られていく家族意識とその犠牲になっていく弱き子供たちの存在。小説だから大げさな表現が目立ってしまったものの、もしかしたらどの家庭におこってもおかしくない出来事なのかもしれません。

相手の波長と強く感応してしまうために心にブラインドをおろして生活している人たち。感受性が強すぎるために生きづらい彼等につけられた呼び名がコンセント。いろんな波長を受信するアンテナ…田口ランディの言葉の用い方にはうなってしまう。
どちらかといえばあまり知りたくない闇の世界を描いたお話ですが、この世界であやしいことはぜんぶ人間の意識が作り上げているという結果に、ホッとすると同時に、無意識の領域の深さに怖さを感じてしまいました。

見えない世界、形では表せない世界を描くことはほんとむずかしいし、誤解をうみやすい。その世界をあらわそうとした、そしてこれからも描こうとする著者の田口ランディはすごいと思う。でも過激すぎる表現たちを前に、ちょっと引き気味の私がいることも確かなのです。


●もう消費すら快楽じゃない彼女へ(晶文社)

田口ランディの小説は過激すぎてちょっとね・・ そんなふうに思っている方にもこのコラムはぜひ読んでもらいたいと思いました。
気づかないうちにいつのまにか付いてしまった、心を何重にも取り巻く膜。全部とはいわないけれど、出来てしまった膜の外側の一枚だけでも剥がしてくれそうな、そんなコラム。かつて子供の頃はもっていただろう今より純粋であった心がほんの少しでも取り戻せそうで、目から鱗が落ちる本、なんて言うと誉めすぎかしら。

やさしさには大まかに2種類あると思っています。きれいなものだけに目を向け、きたないもの、おぞましいものにはふたをしてしまうどこか潔癖症的なやさしさと、すべてのものにはいい面と悪い面があることを分かった上で、その両方をひっくるめて人を分かろうとするやさしさ…著者の田口さんからは後者のやさしさを感じました。それは負の意識たちにシンクロしてしまう、やっかいな性質をも兼ね備えているのですが・・

世の中を騒がせたさまざまに事件たち。事件を犯してしまった犯人たちを自分とは対局側に押しやり、上のほうから彼等を論じる、そういうやり方ではなくて、彼等の目線まで降りてきて語る、そんなコラムが新鮮だったのです。

「暮らしに喜びをみいだしてしまう限り人は絶望から立ち上がる」
文中の言葉です。このメッセージはなによりも強い。日々の暮らし、生活を大切におくることがどんなに大切なことか…それはどんなに辛いことがあっても淡々と日々の暮らしを営むことができる、生活人としての強さをものがたっています。
たくさんの女性たちから憧れられている栗原はるみさんと田口ランディさん。一見両極端にも見える二人の女性が、じつは同じ思想をお持ちだったことがとても新鮮でした。

●ぐるぐる日記(筑摩書房)

ネットコラムニストという肩書きをもつ著者は2歳の女の子モモちゃんのママでもあり、生協の宅配への参加、たくさんの洗濯物との格闘、掃除の行き届いていない部屋に憤慨…くり返される日常の中、作家として世に押し出され、大きなうねりに少しずつ巻き込まれていきます。
多忙な毎日の中、喜びやら怒り、狼狽などが彼女の言葉でつづられた一年間の日記。書くことの意味を思い、いつも自分に問いかけながら書いている誠実な物書きとしての著者が感じられる本。

「田口さんってほんとに人が好きなんだなあ」
この本を読んで私がいちばん感じたこと。人が大好きだからいろんな人と関わり、時には腹を立てながらも他人からたくさんのいい影響をもらい、それが彼女の仕事や私生活に活気や潤いをあたえているみたい。
彼女の小説を読んでも感じたのですが、人、とくに弱者といわれている立場の人に対する優しい眼差しがこの日記にもきちんと息づいていて、「いいな」そう思いました。私はやさしい人が好きだから。

小説が物語の中に大きなテーマ、自分が伝えたかったことを数少なくしのばせているのに対し、日記は著者がこれだけは外せない、そう思ったことがたくさん出てきます。そのせいかいつも読むのにとても時間がかかってしまいます。この本でもそう、娘のモモちゃんのウンチの話のとなりに人生の意味すら問うような文章が出てきて、そこにくると立ち止まり、言葉をかみしめるように反芻・・。気がつくと1冊の本を読むのに何時間もかかっていました。

本を読み終わったあとで「空っぽ」について考えてみました。そうなるためには今、なにができるのかしら…そんなことを思いながら。

●縁切り神社(幻冬舎文庫)

著者らしい切り口で男女のつながりが描かれている、恋愛小説集。
出会いから相思相愛、何の問題もなく恋愛が進んでいけたらそれは理想なのでしょうが、実際には二人の心がすれ違ったり、傷つけあったり、気持ちに誤解がうまれたり…そこに容赦ないほどの現実、日常がはいってきて、思いとは裏腹にギクシャクと進んでいく恋愛。
別れたいと望んでもスパッと関係を切ることができないのは、「誰かと繋がっていたい」という強い思いに縛られているからなのでしょうか。
田口ランディが描くどちらかといえばダーティな世界がこの本でも健在。でもどのお話にもそっと息づいている、小さいけれどあたたかなもの… そのせいかしら、切なさと温もり、その両方を感じてしまいます。

過去の恋愛で置きみやげのように残してきた、忘れたはずの心の痛み。相手を傷つけてしまったという自責の念。本を読むことでその痛みとふたたび対面してしまうのですが、それにもう一度光を当ててあげることで感じる、心のどこかが癒やされていくような晴れやかさ。
田口ランディの本を読むと、あらためて自分のどうしようもない弱い心のことなどを思ってしまいます。だけどそのぶぶんがあるから他人の弱い部分と共鳴したり、少しは人に優しくなれるのかな、なんて思ってしまうのです。


●ミッドナイト・コール(PHP研究所)

田口ランディ、初の恋愛短編集ということですが、男女間のことを描きながら、人が人を慕い、つながりを求める気持ちには男女は関係ないのだなあ、と思いました。
恋を失いかけた時、女はすがるように男の気持ちが自分のもとに返ることを求めます。執着
つらい最中、同性である友の存在が彼女たちを力づけます。友情
今の状況からはい上がるようにこれから自分がすべきことを見つけ、歩もうとします。前進
いくら今が酷くとも、同じ状況にはずっといない、いや、いられないことを知った時、自分自身が前よりも向上できる、そんな糸口みたいなものが見つかるのではないのかな。
どちらかといえば要領がよくて器用な人たちがこの本を読んだとき、この本の登場人物たちのことがもしかしたら愚かに見えるかもしれません。そして、そんな主人公たちの気持ちが分かってしまった私は、きっと人間関係に不器用なタイプなのかも。

ひとつのつながりが壊れかけた時、今まではひそんでいたもうひとつの関係・・相手のさりげない一言によって救われることってありますよね。そういうことがこの本からは感じられて、「やるせないな」なんてため息をつきながらも、心のすみっこのあたりがホーッとうるおう、そんなお話たちがよかったのです。