久世光彦


●早く昔になればいい(新潮文庫)

久世光彦さんといえば演出家というイメージが強かった私です。そしてはじめて彼の書いたものを読みました。
はじめて知った久世ワールドはとても甘美で刺激的・・・
文章がそのまま私の頭の中で映像になり、それはとても美しいのだけれど、毒気の強い妖しい世界でもあるのです。

まだ性の入り口すら知らない子供の世界・・・ でもその頃からもうすでに心の奥底に眠っていた性の根源ともいえるものがあるとすれば、久世さんの本はそれらを少しずつ表に出して、そして読んでいる私たちを戸惑わせるのでしょうか。

読み手によっていろんなとり方ができるのでしょうが、私にはこのお話から「差別」というものがまったく感じられなかったのです。
あと、日本語、とくに漢字のもつ美しい構成とその言葉の響きにちょっぴり酔ってしまいました。


●卑弥呼(読売新聞社)

重なった数冊の本の上に寝そべる、長い尾を持つ黒猫…こんな本の装丁に惹かれて手にとった本ですが、久世さんのおおらかな文章にニコニコしながら読み進んでいった私です。
ユウコとカオル・・若いカップルの恋の様子がほほえましく描かれています。お互いに大好き同士で二人ともとても魅力的なのに、彼らを悩ませているあのこと・・・
一歩間違えると下品になってしまう題材を、久世さんは明るくユーモアのある卑猥さでカラッと描いています。いろんな経験をしてきた大人の男性だけが持てる包容力が文章に感じられて、読んでいて気持ちがよかったのです。
リズムがある文体なのに軽く流れる感じではなくて、ふくらみをもってやわらかく読み手に問いかける、その感じが好き。

欠点はあってもどこか憎めない・・・この本に出てくる登場人物の中でも、とくにカオルのおばあちゃんがいい。高齢なのに恋に身を焦がし、なによりもあのすごい読書量には驚いてしまいました。当然著者である久世さんもあれだけの本を読んでいることを思うと、ただ溜め息が出てしまう私なのでした。
性が文中でおおらかに語られる時、同時に”性”が生きることと同等ぐらい大切なものとして伝わってきます。だから男女の恋のお話がこんなにも切なく胸にひびいて、読み終わったあとで心にあたたかいものを残すのでしょうか・・。


●聖なる春(新潮文庫)

土蔵で暮らすクリムトの贋作師である主人公の「」と、人の末期の姿しか描こうとしない、魅力的なのだけど寂しさを心に抱えた若い女性キキ。胡散臭い画商、猪首の醜い男フランソワ。この3人の登場人物が織りなす残酷で美しい物語が、まるでクリムトの絵のようにあやしく浮かび上がってきます。

私が最初出会ったクリムトの絵は「接吻」でした。恋人どうしのあつい抱擁と口づけが描かれた愛の絵。女性の陶酔した表情が印象的な絵には金がたくさん使われ、描かれた恋人たちの足もとにはたくさんの花が咲き乱れている…愛がいっぱいの絵のはずなのに、愛がいつか終わっていくこと、幸福の時がけっして永遠ではないことの寂しさとこわさを感じました。クリムトの絵から伝わる、はかなさとエロティズムが合わさったところから生まれる美…小説『聖なる春』と同質のものを感じます。
3人が心から待ち望んでいた、「聖なる春」の訪れとは、いったい何だったのでしょうか。