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そうだ、村上さんに聞いてみよう』・村上春樹(朝日新聞社)




村上春樹のホームページ、・村上朝日堂での春樹さんと読者とのメールのやりとりをまとめたものがこの本。
「えっ、こんなこと聞いていいの」
読んでいるこちらがどきまぎしてしまうような質問にも、ユーモアを交えながらサラッと返し、反対にとても深刻な相談には真摯な態度で答えていく、そんな春樹さんに好感がもてます。 もっと軽い読み物を想像していたのですが、じっさいに読んでみると一字一句読み残しがないよう長い時間をかけてじっくり味わっていました。

生きているうちに「これだけは外せない」、そう強く思ったことや、その人だけがもつ真実・・・それらが文章にしてただズラッと並べてあると不思議と読む気がおきないもの。軽い感じの読み物の中に時おり表れるキラリと光るものを見つけていく、そんな読み方のできる本が嬉しい。これは銀色夏生の『つれづれノート』にも言えますよね。
村上春樹の小説を読みながら感じる、心のさまの深いぶぶん。それに対してメールのやりとりで構成されているこの本では、心の表、輪郭のぶぶんが明確になっていく、そんな気持ちよさがあります。
他のエッセイを読んでも感じていましたが、春樹さんの生活の健康的なこと。夜更かしばかりしていて日々快楽に流されている自分が恥ずかしくなってしまいました。
心に湧き出してくる感情をストレートに出してしまわないで、いったん自分の中でねかせておいてから言葉にする・・・ どこか冷静な文章が「大人の男性」という感じでよかったのです。


ばななブレイク』・吉本ばなな(幻冬舎)

雑誌に5年間連載されていたコラムが中心となった吉本ばなな初のコラム集。
吉本ばなななの本を読むとき言葉を頭でひろっていく、という読み方ではなく、文章にこめられた著者の思いを感じとっていく、そんな読み方をしています。そのせいか数年前に書かれたものは、そこに込められた思いがあまりにも多すぎて疲れてしまいました。親切な心と一生懸命さは伝わってきて、ますますばななさんのことは好きなりましたが・・
ひとりの人物を評するとき、あの人はいい人、悪い人、自分の好き嫌いで述べてしまいがちですが、この本では善悪すべてをひっくるめた大きなばななさんの視線が感じられます。その人がたとえ道徳的にはよくない人であっても魂の色がきれいであればいい、というふうな。
人を表面だけで見るのではなく、その人の心の深いぶぶんまで見える・・・そんな公平でくもりのない”心の眼”を持ち続けたいものです。

人一倍ピュアな心がただそのまま透明になっていくのではなく、きたないもの、ちょっぴりおぞましいものも取りこみながら深い意識の中で相手を真摯に見つめていく…ばななさんの小説から伝わってくる同質のものをこの本からも感じました。

「全てが速く動いているのに、空気はよどんでいる」
文中の短い言葉に、現代そのものが表現されているようでした。


寺暮らし』・森 まゆみ(みすず書房)

東京の地域雑誌「谷中・根津・千駄木」という東京の地域雑誌の編集者で、町づくりや建造物保存にかかわってきた森 まゆみのエッセイ。「みすず」誌に連載されたものを中心に、2年にわたる彼女の文章をまとめたものです。

流行のインテリアに囲まれたお洒落な暮らし…時が経つと色あせていくそんな暮らしにどこか薄っぺらいものを感じていたちょうどそのころ、この本と出会いました。
著者が住むお寺の境内に建てられた集合住宅。けっしてお洒落ではないしモダンからはほど遠いはずなのに、住む部屋、そこでの暮らしぶりがなによりも彼女にあっていて、そんな生活がどんなに毎日の暮らしに張りと心地よさをあたえてくれるのか・・住む家、そのまわりの環境の重要さをあらためて思いました。
著者のすごいところは自分の家だけにとどまらす、自分が住む地域はもちろん、社会全体の環境についても考えているところ。環境問題と聞くとどこか構えてしまう私ですが、「○○せねばならない」という堅苦しさより、「このほうが気持ちよくて好きだからやっているだけ」 という、著者のおうようさが感じられてよかったのです。

情報化の波に翻弄される人々、たくさんの情報にひそむ落とし穴…文明批判も、生活人としての基本がしっかりできている彼女が述べると真実味をもって伝わってきます。
ひとりの時間と静かな暮らし、そして自然を愛する著者ですが、女手一つで子供を養わないといけないという生活面での厳しさもかかえていて、そのへんのバランスのとりかたが大変そうに見える反面、すくっと自分の足で立っている彼女が羨ましかった。

日本のマスメディアが発信し続ける「下町情緒」のイメージの押し売りにはうんざりしていると言う森さん。だけどその下町情緒にずっと憧れ続けている私は、読みながら思わす苦笑してしまいました。あたたかさと厳しさ、その両方が伝わってくるエッセイを読み終わったあと、自分が好きで目指しているこざっぱりした簡素な暮らしぶりに、いつしか思いを馳せていたのです。


ミューズ』・赤坂真理(文藝春秋)

肌感覚、をもっと掘り下げたような皮膚に下にある内蔵を意識してしまう、読んでいるうちに不思議な感覚が呼び覚まされる小説。
温度が感じられるやわらかい肉体の感覚が、歯の矯正装置に代表される無機質な冷たい触感と物語の中で交わる時、それはひりひりするような痛みをともなったある感受性を生み出します。
ストレートな文章とはちがい、遠まきの言葉たちによって身体のある部分の感覚が目覚めてくるのを感じました。言葉の遠隔操作・・

抽象的といってもいいぐらいの情感ゆたかな文章の中に出てくる、薬用ミューズ石鹸だとか新百合あたりの主婦、成城石井で売られている商品の列記… その箇所にくると逆にとまどいを感じてしまいます。
けっして幸せとはいえない、私(主人公)の生い立ちやら家族との関係も気になるところ。

女性だったらはまってしまう男性、というのがたしかに存在していて、この本に登場する歯科医の男性がまさにそう。主人公は高校生なのに思わず彼女に自分を重ね、ドキドキしながらこの本を読んでしまいました。
赤坂真理の本を読むのはこの本がはじめてなのですが、これからも読んでみたい作家のひとり。 とくに女性の方にお薦めします。
「あっ、このぶぶん、私といっしょ」
そう思えるところが多いと思うから。
記憶よりも身体の情報・・つい頭で考えてしまう、私たちにつきつける容赦ないけど甘美なもの。


聖の青春』・大崎善生(講談社)

将棋界の最高峰ともいえるA級に在籍したまま病気のために燃え尽きた、村山聖の29年間を描いたノンフィクション。
幼いときにネフローゼを患い、癌によって亡くなるまでずっと病気と闘ってきた村山ですが、そんな過酷な運命にも負けないで立ち向かってこられたのは、彼には目指すもの(将棋)があったからなのでしょうね。大きな目標と情熱が”生”へのエネルギーをこれほどまで強くしてくれるものかと、あらためて感心してしまいました。
身なりなどぜんぜんかまわないで、将棋をさすことだけに強いエネルギーをそそいできた彼は強烈な個性を放ち、かけひきなどできないストレートな言葉といっしょになって周囲の人々を惹きつけます。飾りのない丸裸の存在のもつ強さ。

師匠であるの村山にたいする深い愛情がうかがえる場面も多く登場して、それらを読んでいると思わず胸が熱くなります。他人の痛みを自分のことのように感じるとき、自然と相手に手がさしのべられるものなのでしょうか。
精神的なプレッシャーから対戦のとき、多くの棋士たちが下痢やら嘔吐に悩まされていることをこの本を読んではじめて知りました。神もはいりこめないという、神聖な勝負の世界で生きている人がいるということ…大変だなあ、と思うそれ以上に、憧憬の念を強くしたのです。

著者、大崎善生のすべての人にたいするやさしいまなざし・・欠点をもふんわり包み込んでくれるような包容力にふれたとき、こちらの胸にもあたたかいものが流れてきます。


Tokyo Kitchen 』・小林キユウ(リトル・モア)

東京で暮らしている13人の若者のキッチンが、写真と文章、よく作る料理のレシピつきで紹介されています。
キッチンの紹介のはずが、それぞれの生活と仕事、これからの夢などが語られていて、都会で暮らす男女たちの暮らしの場面・・その切り抜きみたいな本。
紹介されているほとんどが一人暮らし、というせいか、どこかわびしさが感じられるキッチンですが、これからの夢や目標のためにがんばる彼らの生活がそこには詰まっています。
「今はこうだけど、いずれは・・
けっして今が完結(終わり)ではなく、あくまでも通過点だというこだわり。

13人目、最後に紹介されたキッチンは唯一カップルのもの。そのせいか今までとは雰囲気が違っていて、そこにはわびしさが感じられませんでした。愛する人のために料理を作る…安定のあるぬくもりを感じます。
カメラマンである著者はキッチンを独立したものととらえないで、部屋の一部、その人の生活の一場面を切り取って私たちに見せてくれています。裏表紙に載せられた写真はいかにも業界の人、という風貌なのに、みずからを田舎の出身者と名乗り、新宿のOA売場のことを貧血と酸欠のマーケットと書いてしまう、ドキッとしてしまう言葉のセンス。

都築響一の『TOKYO STYLEその台所バージョンのような本ですが、ちがうのは文章がこの本のほうがあっとう的に多いということ。一枚の写真から伝わってくるものはもしかして文章よりも大きい・・ 文章をもっと削ってそのぶん写真の数を多くしてほしかった、というのが私のわがままな思いなのです。


フェミの嫌われ方』・北原みのり(新水社)

面白い本だったと思います。でもなにか釈然としないものを読後感にもってしまったこともたしか。フェミニズムを毛嫌いしているつもりはないのですが、胸に小骨が突き刺さったような不快感には自分自身とまどっています。
女性問題だけにとどまらず、社会全体に蔓延している差別…テレビの中、とくにお笑い番組上での差別に戸惑う、著者の言葉にはハッと気づかされるものがありました。ある特定の人を卑下するような笑いはきっと時代遅れ・・
専業主婦を無能よわばりする風潮にも著者は疑問を投げかけています。話題になった「くたばれ専業主婦」に通じる”下品な主婦バッシング”という一文にはエールをおくりたかったほど。

そう、途中までは「うんうん」なんてうなずきながら好意的に読んでいたのです。が、ひとたびセックスについて彼女が述べ始めると私の中に違和感がでてきたようです。 読んでいるこちらが赤面してしまうほどのあけすけな言葉たちの列記…性をおおっぴらに語り、快楽の権利を主張することが女性の解放につながる、ということなのでしょうか?
必要以上に性を隠微な世界に押し込める必要などは感じませんが、臆する世界のひそやかな楽しみとしてとっておきたい、それが私の思い。
女性であることをふくめて性差を楽しみ、その時々をしなやかに生きていけたらいい・・そんなふうに思ってしまうのはあまりにも問題意識がなさ過ぎかしら。女性であることで嫌な思いをしたことが全くない、と言うとウソになってしまいますが・・

読了した後、次に選んだ本が遙洋子の『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』の本ではなく、つんくの『LOVE論』であったことがなんだか私らしい。


LOVE論』・つんく(講談社)

読む年代によって感想が変わってしまう、そんな印象をもってしまったミュージシャンつんくの書いた本です。『フェミの嫌われ方』の著者北原みのりが、この本の内容のことを辛辣に批判されていましたが、私にはそこまで酷い内容には思えなくて、つんくのストレートな言葉が意表をつく表現といっしょになり、読みながら「うまい!」なんて感心してしまったぶぶんもいくつか・・
自分ではコンプレックスだと思っていることを、著者のつんくが魅力、なんて言い切っているのだから、女性によってはこの本を読むことで励まされ、勇気がわいてくるのかも。

『LOVE論』で取り上げられているのはASAYANというオーディション番組から出たユニット、「モーニング娘。」と「太陽とシスコムーン」の女性たち。ASAYANは歌手をひとりの人間として、というより商品としての価値ばかりが目立ってしまった番組。それをそのまま受けついでしまったかのようなこの本では、人間性よりも男の子からみたかわいい女、みたいな図式が感じられました。目的、書かれた趣旨が違っているのでしかたがないのでしょうが、彼女たちの仕事である歌手としての評価がないことに違和感を感じてしまったのです。
けっして出しゃばらすに一歩ひいたところのあるかわいい女・・つんくが理想とする女とは、もしかしてたくさんの男性の理想なのかしら。

「男たちを惹きつける女性の魅力とは?」、そんなマニュアル本として読むか、無類の女好きの書いた軽い読み物として読むか…評価がわかれそうな本です。