この人の閾』・保坂和志(新潮文庫)

「閾」という意味がよくわからなかった私・・。だけどこの人の閾という言葉の響きがよくて、「この人が持つ城」みたいな意味をかってに思っていました。
主人公の男性が10年ぶりに会った大学時代の友人(女性)は、すっかり家庭の人になっていました。過ぎてしまった時間の流れをおたがいに感じながらも、たんたんと会話を続けていくふたり。並んで草むしりをするふたりにからは、不思議と男と女を感じさせない。
保坂和志の本はたくさん読んでいるわけではないのですが、男女のあいだを無言でやりとりされる”性”が抜け落ちている…彼の本を読むたびにそう思ってしまうのは私だけ?
ひとりの人間同士として向き合い、時間をいっしょに共有していく・・人との関係がまるで風景のひとつみたいに進んでいきます。だけど私には無理みたい。あと20年は年数が必要のようです。

物語から音楽を感じることがあります。たとえば、村上龍の小説『トパーズ』にポンポンと飛び跳ねるような刺激的なリズムを感じる一方で、『この人の閾』に収められているお話たちからは、地を這うようなゆるやかな音楽を感じました。

「こんなふうに生きなさい」
「これがいちばん正しい」
そのような押しつけがましさが作品から伝わってこない、というところが好きです。

そこに僕はいた』・辻 仁成(新潮文庫)

著者の小学校時代から、夢を抱き東京に行くまでが描かれた青春エッセイ。
時おりユーモアをまじえた、彼のストレートで正直な文章が好感をよびます。
読み進んでいくうちに、かつてのクラスメートたちのことを私自身も思い出していました。まだ自分をつくろうことをしない小学校時代。友人たちのちょっと変わった性格やいけない行動たちが、今から思うと懐かしい。
ひとりひとりの個性がとてもはっきり出ていたあの頃、かかわった友人たちの思い出がふたたびよみがえり、私の心を熱くします。人と打ち解けるのに人一倍時間がかかってしまう(今も直っていない)私は、人と広く浅くつきあうことがなによりも苦手。コンプレックスになっていた自分の欠点が個性と気づくまでに要した時間…この本を読むことであらためて思い出したことは大きい。

感受性が強く、根っこにやさしいぶぶんを持ちながらも外側では突っ張って悪ぶっていた彼の青春時代・・ 喧嘩に明け暮れながらも一方では文学書を読んでいた文学青年の一面ものぞかせています。
辻 仁成の本の登場人物たちが持つ、ひたむきさの原点を見せてもらったようなそんなエッセイでした。

聖なる春』・久世光彦(新潮文庫)

土蔵で暮らすクリムトの贋作師である主人公の「」と、人の末期の姿しか描こうとしない、魅力的なのだけど寂しさを心に抱えた若い女性キキ。胡散臭い画商、猪首の醜い男フランソワ。この3人の登場人物が織りなす残酷で美しい物語が、まるでクリムトの絵のようにあやしく浮かび上がってきます。

私が最初出会ったクリムトの絵は「接吻」でした。恋人どうしのあつい抱擁と口づけが描かれた愛の絵。女性の陶酔した表情が印象的な絵には金がたくさん使われ、描かれた恋人たちの足もとにはたくさんの花が咲き乱れている…愛がいっぱいの絵のはずなのに、愛がいつか終わっていくこと、幸福の時がけっして永遠ではないことの寂しさとこわさを感じました。クリムトの絵から伝わる、はかなさとエロティズムが合わさったところから生まれる美…小説『聖なる春』と同質のものを感じます。
3人が心から待ち望んでいた、「聖なる春」の訪れとは、いったい何だったのでしょうか。

空の遠くに つれづれノートH』・銀色夏生(角川文庫)

著者の心にもつ「厳しさ」みたいなものが頁から伝わってきて、読んでいるうちにこちらの背筋までもがシャンとなりそう、そんな今回のつれづれノートでした。
イカちん(旦那さん)にたいする視線、描き方が明らかに前回のつれづれノートとは変わっていて、彼女の本を読むたびに思う、「すべてのものは変化している」ということをあらためて心にきざみます。
だれからも強制されることを嫌い、いつも自由でありたいと願い、それを実行している著者。自由でいられる環境を作るまで自分がどんなに努力をしてきたか、そのことも述べています。
自分はなにが好きなのか、どんなことをしている時がいちばん幸せなのか…それって他人から教わるものではなくて、自分で考え、道は自分自身で切り開いていくものなのですね。著者のメッセージが伝わってきます。
窓の外の青い空を指さして、「スーッと自分の道が見える」と言った夏生さん。二度目の結婚、ふたり目の出産を経験してそれらがひと段落した今、これから新しい第一歩を踏み出していくのでしょうね。彼女の書くものが好きなひとりの読者として、とても楽しみ。
銀色さんが大好きだという「率直な人」・・ 私もそんなふうだったらいいな。

ひざまずいて足をお舐め』・山田詠美(新潮文庫)

著者の半自伝小説ということで興味深く読み始めたのですが、働いていたというSMクラブの描写が過激なだけで退屈に思えた私は、最初のうち、何度本を閉じかけたことか…。
物語の中盤を過ぎたあたりからお話がどんどん面白くなってきます。 いつも明るくあっけらかんとして悩みなどないように見えた主人公のちかが、じつは幼い時から感情の起伏の激しさだとか、感受性の強さに悩まされたこと。そしてそんな自分をどう他者と折り合いをつけていったのか、自分にとって文章を書くということはどういうことなのか…心の深いぶぶんがどんどんさらけ出されていきます。
著者の「これだけは言っておきたい」と伝えたかったもの、今まで大切にしてきたことがちかの言葉を借りてワーッとなだれこんでいくみたいに吐き出される、後半の文章は圧巻。
文中に何度となく出てくる「卑しい」という言葉。それは職業だとか外見のことではけっしてなくて、その人の心の様子、心のあり方なのだ…この本を読んで私がいちばん感じたこと。
傷ついている人を慰められるのは励ましの言葉などよりも、相手と寝ることなのかもしれない…モラル意外のところに優しさの真実が眠っている、そのややこしさ。

愛逢い月』・篠田節子(集英社文庫)

めであいづき…きれいな響き。
そのきれいな言葉とは違い、愛とその終わりを描いた6編の短編はどれも怖い。はっきり言って読後感はあまりよくありません。 自然になじみ深い著者だけに、自然と人間をふくめた生き物たちの描写は巧みで、その上手さゆえにより怖さが迫ってきます。 人を深く愛し、その愛が消えていく時の心の葛藤、憔悴感が文面に詰まっていて、読んでいると息が詰まりそう。

私は『秋草』のお話がいちばん気に入りました。秋草の描かれた金箔のはがれ落ちた襖絵に強く心惹かれる悦子。逢うと情事は重ねるものの、男の心がとっくに自分から離れている、その寂しさを目の前の襖絵に見出してしまいます。燃え尽きるはずだった男との関係が儀式のようになってしまったこと、このことに思い悩む悦子のとった行動は…。
かつての激しい恋の思い出と代わり、まるで狂ったかのような悦子の行動は哀しく胸に迫ります。
耽美・・嫌いではありませんが、物語からもっとエロティシズムが感じられてもよかったかな。

飢え』・群 ようこ(角川文庫)

『放浪記』を書いた作家林芙美子の人物エッセイです。
群 ようこの人物エッセイといえば森茉莉のことを描いた『贅沢貧乏のマリア』が大好きな私。だからこの本も期待して読んだのですが、森茉莉の憎めない自由奔放さや、風変わりなところまでなんだかかわいく思えてきたのに、林芙美子はどうしても好きになれない・・
面倒なことが大嫌いでトラブルから逃げてばかりいる、そんな性格だと自分を分析する群さん。そんな著者が自分とはまったく違うタイプ、たくましい働き者でうんざりするほど上昇志向を持つ女性のことを描いているのですが、「自分とは合わない」で終わらせないで、ちょっとした行動や小さな言葉をひろい集めては林芙美子を理解しようとする、その姿勢に感心しました。

文中に林芙美子の文章がたくさん登場しますが、言葉の用い方が巧みで、はっと意表をつくような表現にはうなってしまいます。その中でもとくに私が好きな一文があり、それは「きどりはおあずけ・・」ではじまる文章。ついきれいな言葉でごまかそうとする物書きとしての自分を、厳しく、だけどどこかのんびりといましめている姿が印象的。
第一線にいる人、才能がある人…集団にとけ込めないぶん、いつも孤独感を抱えながらも本当は不器用な自分をしっかり支えて生きていくしかなかった、そんな著者のエールを感じました。

シンプルライフシンドローム』・荒木スミシ(幻冬舎)

社会に参加しないことで社会に抵抗しているという、定職を持たない男荒木スミシ。物を極力持たない、シンプルライフに徹している女イズミ。いつも透明な存在でいたい、そう願っている少年カオル。いじめを苦に飛び降り自殺してしまったカオルの同級生スミカ。4人の若者が織りなす繊細で感覚豊かな物語。

4人に共通しているのは、他人も自分も傷つけたくない、そう思っていること。純粋できれいなままの自分をいつまでどこまで保てるか…自分を守るため、きれいな存在でいるための彼らの日常が、著者の感性豊かな言葉たちで表現されています。 ひとつひとつの言葉は連なり、短い文章がジクソーパズルのように組み合わされて大きな意味を持つ…斜め読みなどもったいなくて、ゆっくりとかみしめながらこの本を読んでいきました。
大きなコンプレックスを抱えていろんなことにいつも逃げ腰だったカオル。自殺してしまったかつての同級生スミカに導かれるようにして現実に立ち向かっていく力を得ていく、その姿が印象的。

「生きていることは不純だから死んでしまって初めて純粋になれる」
若者の心に巣くう、そんなあやうい気持ちを感じる一方で、傷ついてもいいから、人に、自分の運命にぶつかって生きていってほしい・・そんな力強いメッセージも感じました。
この本は、あの阪神淡路大震災直後に書かれたものなのだそうです。

純愛時代』・大平 健(岩波新書)

ちまたに氾濫しているやさしさに焦点をあわせ、傷つくことを極度におそれるあまり、やさしさにこだわり続ける若者たちのことを描いた『やさしさの精神病理』の同著の本。
この本でも精神科医という立場のもと、もろく崩れやすい現代人心のひずみを描き出しています。恋愛に純粋なものを求めるあまり心を病んでいってしまう人たちの様子がいくつかの症例によって書かれているのですが、私には彼らが特別変わっている、とは思えなくて、純粋にこだわり続ける恋愛はそんなに悪いことなの…そんなふうに思ってしまった自分にドキッとしてしまったのです。

精神科医であつかう問題の三分の一が恋愛がらみ、だという事実。恋愛のことを深く考える時、現代社会が抱えるいろいろな問題点が浮かび上がってくるというのもうなずけます。 恋愛に純粋さが強く求められれば求められるほど現実に生活している自分には無理が重なり発病に至らせる・・というのはやりきれない思いがしてしまいました。
日々否応がなしにおそってくる現実としての毎日、そこにいる自分。本当のやさしさに厳しさが伴うのといっしょで、純度100%の恋愛にはどこか無理がある、ということなのでしょうか。

精神科医という立場上仕方がないのでしょうが、純粋な人たちが病気の症例として紹介されていることに、なにかさみしいものを感じてしまいます。人の痛みがわからない誠実ではない人が増えている今、人間的におかしいのは果たしてどちらなのだろう?と、この本を読みながら考えてしまいました。